WE LOVE 「規格」? / 認証と行動のギャップ

Square shiny icon with white design on green background

かなり以前のことになるが、東南アジアで宿泊したホテルに「ISO9002認証取得」!!! (ビックリマークは付いていません) と高らかに謳われていた。 いかにも“高らかな”気がした。 が、案の定、部屋に入ってポットから湯をコップに出すと、ほうじ茶に注いだわけでも、紅茶に注いだわけでもないのに、錆が混ざったような赤茶けたものが登場。

ISO9000シリーズは1994年に発行された品質保証システムを標準化するもので、その中で「ISO9002」は製造、据付および付帯サービスを認証する。 (設計開発業務を対象とする場合はISO9001となる。)

このホテルは当然ながら“ホテル”なのでこの「サービス」の品質マネジメントシステムの認証が該当する。 「管理手順は標準化され、妥当性は検証され、履行され、そして記録され、ミスを未然に防ぐ仕組み」であるはず。 もちろんミスは起き得るが、「ミスが気づかれる仕組みや改善の仕組み」もあるはず。 しかし、現実にはポットからは錆水が出る。

規格化され、標準化され、認証を受けていても、それが「全て形式だけで、認証されるために実質的に役に立たないようなシステムを見かけ上だけ作っている」なんてことがある。 そして現実には、従来通りの管理システムと認証用のうまく利用できていないシステムの二重管理となっている。 前者で通常業務をこなしながら、監査の時期になるとあわててISO用の資料も準備したり、なんてこともある。 実際問題、ISO9000シリーズは手順書を大量発行する一方で業務効率が落ちるとの批判もあり、2000年に改訂され顧客満足を目標に据えて不断の改善プロセスを続けるためのマネジメントシステムの規格へと拡張された。

企業のマネジメントシステムは、「認証されたから」「監査を受けているから」と言って、簡単に向上するとは限らない。 形式だけ合わせたつもりになっているうちに、実務用と認証用に使い分けるような、あるいは日々の業務の現場の必然性から認証用が劣後するような『仏作って魂入れない』やり方になってしまうこともある。 そういう二重管理は結局、リソースの浪費、無駄となる。

人は、自身の思考力に自信がもてない、あるいは、社員を信頼していない、自分は知識が無いからできない、あるいは、自分はやれるけど何かあった場合に責任を取りたくないからやらない(サラリーマンだし?)どなどの様々な理由から「規格」という出来合いのモノは愛されやすい。 (手っ取り早い、みんなやっている、何かあっても規格のせい。) ただ、「規格」を認証されることと、実際に“やる”・“やれている”ことは違う。 「規格」に認証されていても、水は濁るし、「規格」に認証されていなくても顧客志向でプライドのある経営者・社員の手にかかれば、水は決して濁らない。 また、もし濁ってしっても、適切に謝罪し、代替を提供し、原因を追究し、改善し、再発しない仕組みを“思考し、それが実行される”。

なお、ここでは「規格」を批判しているわけではない。 「規格」を信じ、適用し、学び、プラスαの改善をすることが素晴らしいと考えている。 せっかく認証を受けるならそれを機にあるべきマネジメントシステム像に実態を合わせていくように業務改革することが、こういった規格、基準のそもそもの目的である、ということもお伝えしたい。

「規格絶対信奉・その時ダケ型」から、「規格から学び・日々品質向上目指す型」へなりたいものです。

top