清く正しく美しく、be justで、いい仕事

ある上場会社のトップの方の入社式での講演を読んだ。「Be just, fear not」に関する話。 そのままの意味で、正しいことをしているのならば、何ら恐れることはない、ということ。 失敗と向き合わず、過ちを隠し、嘘をつき、などは回避しよう、ということ。 隠し事は一生つづく。 正しくあることで不快な思いがあるかもしれないが、一瞬ではないだろうか。 逃げない心、引きずらない心が必要だが、隠し事はストレスになるはず。

現、中国大使で伊藤忠商事の社長であった丹羽氏が、社長時代に社員に対するメッセージとして「清く正しく美しく」を繰り返し、繰り返し伝えていた、ということを同氏の著作で読んだ。 総合商社は過去から社会的に大きな問題を起こしている。 嘘をつかないと、正しくないことをしないと稼げないのであれば、そんなビジネスはいらないとの主張。 三井物産の槍田氏も社長当時に(ディーゼルエンジンのデータ改ざんやODA不正の不祥事を受けての社長登板だが)、稼ぐ、儲かる、などの前に“いい仕事”をしよう、をスローガンに社内の改革(人事考課の改革、社員コミュニケーションの仕掛け、など)を遂行した、とのこと。今はJALの再建をリードしている京セラの稲盛氏も同様な主張をしている。 「判断に迷ったときは、人として正しいかどうかを考えるようにしている」とのこと。

社会の仕組みとして、相手の人間の気持ちとしても、清く正しくなく稼いだことはいずれそれを上回る損をもたらすはず。 精神論のみならず清く正しくあることが利益になるとの考えがあるから、上記のような発言を一流のリーダーするのかもしれない。 しかし、やはり人間として、個々人で差があるかもしれないが、人として正しいと思うことを、清く正しく美しいと思うことを、いい仕事として、実施すべきだと思う。 利益うんぬんの話ではない。 利益はやはり正しい行いを実施すればあとからついてくるものだ。

実は、現代の競争環境が激しく選択肢が多様化している中、また、新商品・サービスの開発スピードが高まる中、消費者の心は移り気になりがちであり、組織の中でも多数の意見が存在する。 どれがより稼げるかが本当にアクション実行前から明確化されるような状態はない。 やってみなければわからないし、戦略通りに実行できるわけでもない。

ところが、どのオプションがより人として正しいかは意外と判断しやすいのではないか。 稼げるかを軸とすると売上予測の確度が非常に求められるが、本当にそのような将来予測なんて可能なのだろうか。 地球規模的な突発事件も起きてあり、将来予測がほとんどギャンブルの様相を呈している。 そうであれば、やはり、清く正しく美しくを判断とすべきだろう、とこう思われる。

品質管理に携わる我々は、常にこれを心に置かなければならない。 時にお客様に迷惑をかけることがあるかもしれない。 それでも、清く正しく美しくをモットーとして日々努力をしていきたい。 お客様には常に正直であること、怒られても、場合により商売を失うことがあっても、それでも正直であること。 これを社内ひとりひとりへ強く浸透させていきたい。

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