“バナナを取れないサル”にはならない
突然ですが、バナナを取れないサルの話を紹介させてほしい。 ある実験の話だ。 何匹かのサルが檻にはいっている。 1本の木があり、木の上にはバナナがある。 当然、サルはバナナを取りに木に登る。 このとき強力な勢いの水が上からサル目掛けて噴射され、サルは木から落ちてしまう。 バナナを取らせない仕組みだ。 何度やっても、他のサルがやっても同じ。 強力な水の噴射によりバナナを取ることはできない。 檻の中のサルはみな、バナナを取ることをあきらめてしまう。 学習だ。
そこで、新しいサルを檻にいれ、同数のサルを出し、入れ替える。 新しいサルはバナナを取ろうと試みる。 が、最初からのサルが待ったをかける。 「危険だ。バナナは取れないし木から落ちるぞ」。「そうか、ありがとう。 木に登らずよかった」。 中には、忠告を振り切って登るサルもいる。 が、やはり水をかけられ木から落ちてしまう。それを見ていた他の新参者は当然登らない。 次にまた新しいサルを入れ、古いサルと入れ替える。同様に、忠告がなされ、木に登らない。 このようにしてサルの入れ替えが進み、ある時点では強力な水の噴射を受けて落下したサルもいなければ、実際にその現象を見たことがあるサルもいなくなる。 が、誰も木には登らない。 登ってはいけないと伝えられ、それが当り前となったからだ。 もはや水噴射の機械はとっくに取り除かれているのに…。
「昔からこの値段だ」、「前任者がこういう管理をしている」、「これは2回試験するものだ」、「この報告書フォーマットは書きにくいがこういうものだ」、「この素材は昔から色落ちするものだ。理由は無い」などなど日々のビジネスシーンでも我々がバナナの取れないサルになっていることは多い。 1年の間に、無意識のうちに、意図せずに、そのときのメンバーの思考・行動が自然的に重なり、意図せざる既成を作り出す。その時はベスト、あるいはベターであったかもしれない。 あるいは、何も考えずにとりあえず・昔からそう、が継続されているだけかもしれない。それらを今は改善すべきかもしれない。 ?何もしなくても、は言い過ぎかもしれないが、人口が増え、多くが将来を明るくとらえ、消費欲が強く、競争環境が比較的緩い、市場が拡大していく時代ならいざしらず、それらの真逆の時代に、企業が生き残り・成長していくためには、高効率でスピードあるサービス提供が必須。 本質的に差別化の無いサービス内容では低価格とスピードで差別化するしかない。 このためにも常にサービス提供の仕組みの効率化を目指さなければならない。 効率的だから低価格にでき、効率的だからスピードが高められる。 そして、効率向上に寄与するのが既成を疑う視点だ。
既成を疑うには、汚染されていない部外者・素人が役に立つ。他部署からの領空侵犯のおせっかいな指摘、新規のお客様からのありがたい指摘、弊社の既成に汚染されていない新入社員からの指摘、なぜなぜマインドを持つ個人からの指摘、そして、これらの指摘を吸い上げる組織的取り組み。
お客様により価値あるサービスを提供するためにも、自社の効率化は必至であり、そのためにも既成に囚われない視点を持ちたいところ。 お客さまからの忌憚のない厳しいお言葉が我々の糧となる。