心の食物
最近読んだ本に、主旨としては、
食物を一食たべないと体にこたえるが、本を読むという肝心の心の食物であれば何日抜けても平気なひとがある。 読書をしなくなると死に瀕した病人がもはや食欲がなくなったと同じで肉体は生きていても精神は既に死んでいる証拠。 心が生きているか死んでいるかは心の食物としての読書を欲するか否かによって知ることができる。 書物を読んでわが身に実行して初めて真の修養となる…
などなどとあった。
人生で自分が接する人の数は限定的であり、その人が自分の思考や行動を変える人生を豊かにしてくれる経験や時間や考え方などを提供してくれるかはわからないし、そういう人であっても常にそうである訳ではない。 朝起きて、家族がいれば家族と接して、会社などに行って比較的同じ人たちと顔をあわせて、友人とあって、家に戻って独りか家族か、あるいは親しいひとと会って、寝て、時に旅行などに行って接するひともいる。 いずれにせよFacebookで“ともだち”が何人いようが、豊かさに影響するひとは限定的とも言える。
本であれ、映画であれ、ドラマであれ、劇であれ、音楽であれ、人生の豊かさに好影響されえるものを“食”することは、直接の人間関係を補うものであると感じられ、冒頭の言葉はうなずける。 ぜひ、たくさん、本を読みたいものだ。 (或いは映画やその他であっても良い。) もちろん読み終えて失敗したと思う本もあるだろうが、何十ページか、何百ページかには何か感じることはあるものだ。
事故やクレームが起きて原因の追究や対策の検討が依頼される際に、話を電話で聞いて質問を3つ、4つしただけで原因がわかることがある。 もちろん事故品と未事故品(未使用品や正常品)の実物を提供していただき、比較しながら仮説を検証するのだが、ある程度の予測はすぐについてしまうことが多い。 過去に類似製品で同じ事故が起きたことを知っているからであり、材質特性を知っているからであり、安価な製品を量産する海外工場の現場事情を知っているからこういうことも起き得るだろうと想像できるからであり、つまり、“知っている”のだ。
弊社の経験として頻度多く発生しているものもあれば、年に1、2回であれ、ユニークなので記憶に残っているものもあり、とにかく知っていれば原因特定の可能性を容易に思考できる。もちろん、早とちり・思い込み・先入観などのリスクは常にあるので丁寧な検証は必要ではある。
事故・クレームが起きてから、後出しジャンケン的に“知っている”から原因をすばやく特定し、対策を案出しできるかもしれないが、事前にわからないのでは、という疑問がある。 もちろん事前にわかることもあるし、当然、わからないこともある。 ただ、事故・クレームを“知っている”量が増え、それを様々な要素と紐付けられる整理力? 分析力? ロジック? が蓄積していけば、事前にわかる可能性/確率は高まっていく。 特定の事故をアイテムと紐付けるのか、材質か、材料か、時期か、工場か、生産量か、納期の短さか、それらの複合要素がセットのときか。
生産・品質に従事する者にとって、事故事例、クレーム事例、その原因、その対策の効果を知ることはまさに心の食物。 事後から学び、事前に活かす。様々な事故・クレームを知っていくことに価値はある、と信じている。 事故経験豊かな(?)ひとを大切にし(過ちを繰り返す、という意味ではない…)、事故事例を多く知っているひとを近くに置いておきたいところ。