“問題”ではなく、“機会”にどん欲であるべき

海外品には、もちろんレアなケースと思いたいが、材質が途中で変えられたり、そもそも伝えられる材質と異なる材質が使われていたり、検品・検針が不適切な方法であったり、意図的か無意識か、経験不足か経験があっても他のインセンティブで不適切さにドライブされているのか、個人的か組織的か、とにかく問題が発生する

このような問題を発注側・輸入側である日本側がコントロールできていないことも問題。 相手のせいにした瞬間に解決は遠くなる。 自らの責任で解決に取り組むことがスタート地点。 “電信柱が高いのも自分のせい、郵便ポストが赤いのも自分のせい”と語った経営者について読んだことがあるが、大げさながらこのように何事も自分の責任と捉え、責任を果たさねばならない。 (責任はとるのではない。果たす、のだ。)

海外産については、プレイヤ多数のケースも問題だ。海外に工場があり、工場とコンタクトし輸入を担当するブローカー、その国とパイプが太いとされる製造管理会社、製品を企画する会社、販売会社。 これにさらに1、2社加わることがある。 その役割はよくわからない。 日本向けの成型品の製造経験がある海外工場側の指摘として、日本はどうしてそう間に何社も何社も絡んで工場に発注するのだろうか? 自分達の取り分は減るだろうし、伝言ゲーム状態。 情報共有困難。 意図的であるかないかは別にしてトラブルも起き易くなる、とのこと。 責任の所在も曖昧となりがちなのだろう。

しかし、このような問題は時間はかかるかもしれないが、解決に向けて努力するしかない。 この問題の裏側にすばらしい面があるように思う。

それは、裏をかえせば、消費者に新しい価値を提供できる“機会”、同じような価値ながら低価格で提供できる“機会”、結果的には企業が稼げる“機会”にどん欲に挑戦していて、その結果として問題が発生している、ということ。

偉大な経営とは、“機会”を常に探し求め、自社にとって価値ある“機会”に敏感で、“機会”に最適な人材を配置し、“機会”を現実にすることに躍起になるようチームを鼓舞し、などなど、“機会”へ高感度に取り組めることがリーダーの存在意義だ。発生した問題に取り組むことに一生懸命になり、優秀な人材を配置してしまう後手・後手経営では成長は見込めない。

そういう意味では、新しい事業に挑戦し、ラーニング途中だからこそ、品質管理に改善余地があり、上市後にクレーム・事故も起きてしまうのだ。機会に取り組んでいるからこそ、だと思う。“問題”のあるお客様は、挑戦心があり、成長に真剣で生活者に価値を提供しようと努力されているお客様と認識して、我々としてどんな貢献ができるのか、それが我々のあるべき思考。そう考えられず、問題だけを指摘する品質管理従事者は浅はかだろう。

われわれも同様に“機会”という考えに感度を高くもたなくてはならない。 過去に経験のない品質検証依頼や、規格無き品質検証のために自らのアイデアで試験方法を立案・実施する、このようなことが検査機関のまさに“機会”であり、積極的に捉えていくべき。

しかし、気をつけるべきは失敗の回避。 このような挑戦して努力されているお客様に迷惑をかけてはいけない。失敗を許容しながらの挑戦ではなく、失敗を確実に回避しながらの挑戦。複数の検証アプローチを採用し (多様化)、同様のアプローチを何度か繰り返すこと (冗長性) など、失敗回避の仕組み構築が必要となる 「問題ありは“機会”に挑戦しているすばらしいお客様」、と認識し、如何にわれわれが貢献できるか、これを常に真剣に考え、実行していきたい。

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